荒れ果てた大地

どうにかします

メモ:女工の管理と同性愛の防止(何のために?):石上欽二「女工の躾け方と教育」

良妻賢母論関連文献を探している過程で石上欽二「女工の躾け方と教育」を発見した。先日読んだ論文*1の関係で女性同性愛関連の記述がないか確認したところ、ボカされてはいたがごくわずかに記述があったのでメモする。その前に本書の概要から。

本書は大正10年に大阪で発行され、著者も大阪の西成・粉濱村に居住している(奥付より)。本書は、近代日本女子教育文献集の一部として1984年に日本図書センターから復刊された。今回参照しているのもそのヴァージョンである。

ネットで検索したら国立国会図書館デジタルコレクションに収録されていた。

dl.ndl.go.jp

本書の性格がわかる記述を冒頭部から引く:

心から愉快に働いて居る女工はおそらく半数もありますまい。猶ほ又、彼等女工は概ね下級の家庭に育った者でありまして、自然其性質も純良なもの而巳ではありません。生活の貧しい爲めに萠した盗み心や、無教育な親に育てられた怠まけ根性や、私生兒継兒の僻み根性や、周圍の境遇に培はれ來た強情性や、その他有らゆる性情の持主が寄合つて居ります。その上にまた良くない家庭が蔭から糸を引いて彼等を操つて居る事もあり、女工は孰れも思春期もしくは青春期の者でありますから、自から性慾上の危機に坐して居る計りでなく、既に破淪に陥って居る者もあります。その他數え挙ぐれば數限りもありません。斯う云ふ危険性を帯びた連中と然うして其朱に交われば赤くなる純白の青少女との集團が即ち女工の群れでありまして、然かも其周邊には多くの魔の手と然うして萬ある機會とが誘惑の網を張つているのであります。この間に處して彼等女工の品性を陶冶し知能を啓發して、倦ましめず苦しましめず、徐々に能働=心から進んで働く=に導くことは、啻に工場管理上からの必要のみでなく國家社會の政策上から見ても極めて肝要な事柄なのであります。*2

.

私は前項に於て女工の躾や教育は宜しく其各自が、

「心から樂しんで働く」

やうに仕向けねばならぬと云ふ意味のことを申しました。*3

同性愛関連の記述は『四、女工の心を解剖すれば』の一節「期節と心身異常」のさらに一項目「ハ、性慾の異常」にある。

まず「期節と心身異常」の冒頭部から引く。

私共の精神や身體はまた、寒暖の期節に依つて、種々に異常を生ずるものでありまして、殊に氣候の暖かい春から、暑い夏の期節にかけて、歳若い女工達は、一人其異常の甚しきを見るのであります。*4

その異常の一つが「性欲異常」であり、その中に同性愛が含まれる。

「ハ、性慾の異常」の冒頭から時代背景を察することができる。

先年前大阪付近に突如として

女學生惨殺事件

起り、少なからず全国を驚異せしめた…

工場當事者諸氏は此女學生殺害事件を決して餘所事とする事は出来ません。…

職工の中には隨分不良少年も居れば色情狂も澤山居ます。…女工の多數は妙齡の未婚者であり、而してその相接近するの機會は甚だ多いのであります。*5

当時、女学生とそのセクシュアリティは社会において大きな関心事となっていた。それと関連づけて石上は女工を論じる。

そして、再び女工の資質に関する論:

職工階級の如き比較的教育程度淺く、且つ社會的地位の低いものは自省の力が乏しく、然も其の感情性慾の異常的発動は粗野であり、露骨であるから、ソコに種々の問題を惹起するのであります。*6

その結果何が起こるとしているか:

イ、淫蕩情事に耽けること

ロ、精力を消耗すること

ハ、勞働を倦怠すること

ニ、華美な服装をなし金錢を浪費すること

ホ、惡疾に感染すること

ヘ、嫉妬沙汰多きこと

ト、家庭の不和を生ずること

チ、缺勤、遅刻、早引、退社等の事故を生ずること

リ、工場の風紀を紊亂すること

等の諸弊害を起して、著しく能率減殺の基を作るものであります。*7

では、どうすれば良いか:

A、稗史小説類を耽讀せしめぬこと

B、華麗淫靡な風装を戒しむること

C、女工同士の同衾を禁ずること

F、濫りに男女工を接近せしめぬこと

G、淫奔多情者を警戒すること*8

石上は明確な形では記していないが、この「C、女工同士の同衾を禁ずること」は女性同性愛への警戒から付された項であろう。とはいえ、本節のメインとなっているのはあくまで男性への警戒であり、女性同性愛の文字は登場しない。これをどのように理解するかは解釈の余地のあることだが、一つ考えられるのは、「女性同士の同衾」つまり女性同士の性行為が、男性との性行為につながるものとして理解されていた、という可能性である。 鄒(2018)は、女学生同士の愛を擁護する方便の一つとして「いずれ来るべき男女恋愛」への準備として女学生同士の恋愛を語る向きがあったことを述べている。このほか、同性愛を異性愛の代替物として理解する見解は広く見られる。石上の理解もその上にあるものだろう。

以下雑感。本書の全体には、階級差別を含む女性への蔑視の空気が漂っている。本書をざっと読む感じ、石上は女工のライフプランに思いを馳せたりはしないようだ。本書に女性の人格への尊重はなく、ただ「能率減殺」を引き起こさないための術が記されている。そして、そのことは漠然と「彼女らにとっても良い」ことであるかのように理解されている。それがどのように良いのか、という具体像は全く見えないのだが。

*1:これ。

ci.nii.ac.jp

なお、近代日本における女性同性愛に関しては、この本が評判がいい。

www.amazon.co.jp

*2:pp.4-5

*3:p.6

*4:pp.98-99

*5:pp.111-112

*6:pp.114-115

*7:pp.115-116

*8:p.116