荒れ果てた大地

どうにかします

(検証)ソクラテスは『本をよく読むことで自分を成長させていきなさい』と本当に言ったのか:知の産婆術のために(追記あり)

Twitterのおすすめ欄ほど「玉石混交」という言葉がふさわしいものはそうそうない。トピック「哲学」「HIPHOP」あたりは特にそうで、例えば後者では、有名どころのUSのラッパーをアイコンにしたしょうもない高校生どもがジャニオタを馬鹿にして内輪でプチバズしている様子、有名どころのMVを貼り付けて「これこそ HIPHOP」などいきがっている様子、カニエを擁護したいあまりユダヤ陰謀論を主張する様子などが立て続けに流れてくるのではらわたが煮えくり返っているところに、OMSBやillicit tsuboiが良かった楽曲をシェアしてくれるツイートが流れてきてすっかり嬉しくなったりする。前者に関しては、新刊書情報やシンポの情報などが流れてきて有益でもある一方で、しょうもない自己啓発イッタラーの名言ツイートや何某の「経営哲学」、アルファツイッタラーの「俺の哲学思想は〜」などという自分語りなども流れてくるという有様である。
で、今日、そんなおすすめ欄にこんなツイートが流れてきた。


十中八九ガセネタであり、半笑いで眺めていたのだが、気まぐれにgoogle検索をかけてもなんと訂正情報が出てこない。それどころかこの「名言」は相当にネットで流布されていて、中学生向けの訓示を含めたさまざまなところでソクラテスの言葉として引用されている始末である。こうした状況では、「いや、プラトンの著作全部に目を通したわけじゃないから...」とフェイクの流布を見過ごしているより、「この辺りの根拠に基づけばそんなものはない(蓋然性が高い)」と主張する人間がいた方がよい。なけなしの公共精神を振り絞って記事を書く次第である。なお、私はプラトンの専門家でもなんでもないので、誤りがあったらお知らせ願いたい。随時訂正する。

 

 

プラトンの著作全体を概説した優れたプラトン入門書の一つとして、ミヒャエル・エルラー『プラトン』がある。なお、著者のエルラーは2001~2004年にかけて国際プラトン学会の代表を務めたこともある古典学者である。
なぜソクラテスの話をしているのにプラトンが出てくるのだ、というところに引っ掛かりを覚えた人もいるかもしれないので、簡単に説明しておこう。
西洋哲学の原初とみなされることも多いソクラテスであるが、彼自身の残したテクストは現存していない。今知られている「ソクラテスの思想」は、彼の弟子であるプラトンが、自身の著した対話篇の中で、自身の師匠であるソクラテスに仮託して自身の思想を語らせたものである(もちろんソクラテスその人の思想も多分に反映されているだろうけれど)。そのほか、喜劇作家アリストファネスソクラテスを風刺したテキスト、プラトン同様ソクラテスの弟子であったクセノフォンによるソクラテスの回想などが遺されているが、プラトンの著作に対してその量は及ばない。以上のような経緯から、アカデミックな文章では「ソクラテスいわく〜」というような表記を見ることは稀で、「プラトンの著作におけるソクラテスは〜」などと枕をつけるか、はたまた単に「プラトンは」とすることが多い。このようなわけだから、「ソクラテスの名言」という表記が出てきた段階で、多少なりとも西洋思想を触った人間は眉に唾をつけて読むことになる。


で、早々に書いてしまうと、「本をよく読むことで自分を成長させていきなさい〜」などと(プラトンの)ソクラテスが語ったとは考え難い。この辺りの機微に関して、エルラー著の記述がよくまとまっているので引用しよう。

書物は知の伝達には役に立たない、というのがソクラテスの立場の主旨であり、この考えは『プロタゴラス』篇(329aを参照)で早くも提示されている...*1

 

冒頭の「名言」とはおよそかけ離れた主張である。おそらく多くの現代人を驚かせるだろうこの主張について、もう少し詳しくみてみよう。

文字による表現は明晰で確実な意味内容を何一つもたらしてはくれないのであって、口頭で会話し、然るべき相手とその場で向かい合って、またその相手が自分の主張を弁護するだけの能力を持つ場合にのみ、意思疎通しやすい状況が生まれ、本当の知識伝達が行われることが可能となる。書物に対するプラトンの懐疑の根拠は、書物だと、ふさわしくない読者の手にわたった時にその誤解から身を守ることができないという点にある(275e)。書物と会話しようと思っても、書物は黙りこくったままである(275d)。絵画と同様、書物に語りかけても何も答えてくれないし、いつも同じことしか言わない。著作は、読者の多様性に応じることも読者を選ぶこともできないし、読者から侮辱を被っても自力ではどうすることもできない(275d-e)。

……補完的な教授を欠くならば、書かれたものは物忘れと見せかけの知に導くだけである(275a)。*2

 

つまりこういうことだ。そもそもプラトンにおいて知恵とは、コップに水を注ぐようにたやすく「伝授」できる類のものではない(そのような知識観は、プラトンが忌み嫌ったものである)。プラトンの描くソクラテスは、対話を通じて、相手の中に洞察が生まれてくる手助けをする存在であり、その意味で、情報を受け渡す教師というよりも相手が既に孕んでいる子供の誕生を手助けする産婆に近い(いわゆる「知の産婆術」)。そして、出産を通じて母親が変容を遂げるように、対話相手もまた、その世界観を根本的に変容させられるのである。この差は決定的に重要である。プラトン=ソクラテスが目指すのは、プラトンの仮想敵、いわゆる「ソフィスト」(の多く)がしていたような何やら全能感に満ちた知の扱い方ではなく、自らの無知と向き合いながら真理を追い求めることであり、またそのような姿勢を獲得することであった。
そのようなプラトン=ソクラテスの知識観において、反論を返してこない書物は知の伝達媒体として心もとない。書物は反論を返してこないではないか。こちらが「わかった」と独断すればそこで探求は終わってしまう。それゆえにプラトンは対話を重視し、書物を軽視するのである(ではなぜプラトンは対話篇を著したのだ、という話になるが、そこはエルラー著に目を通してほしい)。そういうわけだから、「本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。」などという物言いが、およそプラトン=ソクラテスにそぐわないものであることがわかるだろう。知識は受け渡されるものではないし、そもそも「たやすく」手に入るものではないのだから。ついでに記しておくと、プラトンは「ラクに人生を謳歌」などとは口が裂けても言わないだろうし、自己啓発書の内容を「図解」して定型文と共にツイートするような営みを強く嫌悪するのではないか、とも思われる。

ところで、先ほどの引用のところどころに出てくる「(275a)」とかいうのは何かというと、1578年に刊行されたプラトン全集(刊行者の名前をとって通称「ステパノス版」。「ステパヌス版」などの表記揺れあり)における当該箇所のページ番号と行番号である。プラトンを引用する際には、このようにステパノス版のどこにその記述があるかを明示するのがスタンダードとなっており、プラトンの邦訳には大抵このステパノス版の番号が併記されている。試しに、『パイドロス』275aからbにかけての文章を藤沢訳『パイドロス』(岩波文庫)から引用してみよう。

……あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくても物知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけは非常な博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう。*3

このように、引用箇所を明示しておけば、いつの時代のどこの国からでも素早く引用元を確認することができる。引用元の明示というのはつくづく優れた仕組みである。

 

ところで、この謎の「名言」はどこから生まれてきたものなのだろう。

私もまだ確認が取れていないのだが、googleブックスで確認した限りでは、2012年の「座右の銘研究会」による書籍『座右の銘1500―人生を豊かにする言葉のサプリ』のものが一番古いように思う(全件確認できているわけではなく、要検証)。そんなわけだから、今後この「名言」をお使いになりたい方は、『座右の銘1500』より引用した旨を明記していただくのがよろしいのではないか。【2023.03.21 22:06追記:(入れ違いになってしまったが、id:nqzmfdさんからも同内容のご指摘をいただいた。ありがとうございます)再度調べてみたところ、想定より根深い広まり方をしていたことが判明した。

この「名言」は、1878年にアメリカで出版された書籍『Society To Promote Useful Reading』で既に「ソクラテスの言葉」として扱われていることが確認できる

当該記述

Employ your time in improving yourself by other men's documents; so shall you come easily by what others have labored hard for. Prefer knowledge to wealth, for the one is transitory, the other perpetual. - Socrates.

先ほどまでみてきた「名言」に加えて、「富より知識を優先せよ、富は一過性のものだが知識は永遠であるから」という文までついてくる。おそらくこの文を和訳したものが我々が見てきた「名言」なのだろう。そのためか、件の「名言」には、「書物を読むということは、他人が辛苦して成し遂げたことを、容易に自分に取り入れて、自己を改善する最良の方法である」という別バージョンも存在する。

では、1878年刊のこの本は一体なんなのだろう、と思い少し読んでみたのだが、どうも、学校教育を終えた後の女性にも学習の機会があって然るべきだ、と主張する女性団体による勉強会のマニュアルであるようだ。このほかにも、1884年刊の学校用教材など、ソクラテスの「名言」を引用する本は多数存在する。しかしそのいずれも、あくまで「名言集」といった形でしかこの言葉を扱っておらず、具体的にどんな文脈で用いられた文なのか、ということを明示したものは確認の限りではなかった。したがって、本稿の結論はさして揺らがない。また、「名言」が取り上げられているテキストの性格から、この遅くとも19世紀後半には流通していた「名言」は、教育現場で作り上げられた代物なのではないか、と推察される。追記終】

 

最後に、プラトンの入門書について。

本稿で援用したエルラー『プラトン』は、プラトンの略歴から、プラトンの学説の総体、主要著作の概略まで含む優れた入門書であり、プラトン入門におすすめである。

 

 

また、日本には納富信留という国際的に著名なプラトン研究者がいる(国際プラトン学会の会長歴もある)。納富先生のご本から入門するのもよいだろう。

 

しばしば、プラトンの対話篇は哲学入門に最適とされる。ぜひプラトンの対話篇を手にとって、実際に読んでいただきたい。

*1:エルラー(2015)、p.135

*2:エルラー(2015)、p.136

*3:プラトン(1967)、p.135